沖縄の伝統芸能を再構築して舞台芸術に静岡を拠点に琉球の神の精神宿る舞踊活動
りゅうじん
琉神 Ryujin
主宰 鈴木一行
力強い歌舞と各地での教室で地域を元気に
本来、旧盆に先祖供養のため沖縄の人々の生活の中で踊られてきたエイサーを、舞台芸術として再構築し、静岡を拠点に公演活動をしている歌舞集団がいる。その集団「琉神」の主催者である鈴木一行(いっこう)さんは、沖縄の大学卒業後、以前から興味のあった沖縄の文化や音楽の魅力に惹かれ、エイサーのプロ団体に入団した。それから5年後の2001年、すでにリーダーとして活躍していた鈴木さんは、さらに表現の幅を広げるため、彼に賛同した団員らとともに独立し、琉神を発足した。その時すでに全国活動を視野に入れていたため、発足後すぐに西にも東にも行きやすく鈴木さんの出身地でもある静岡に移動した。それから12年たった現在は計7人で活動している。
琉神の団員たちは、歌舞だけではなく沖縄の文化や歴史も学んでいる。そして悲惨な戦争から復興し発展させた沖縄の人々の原動力でもあるエイサーの力強さを体現するかのように、魂のこもったエネルギッシュな歌舞を毎回披露している。勇壮な舞や歌、生きているかのような獅子舞などに惹きこまれる。
発足から3年ほどした頃、琉神の活動に拍車がかかる巡り合わせがあった。それは、琉神と関わりのある沖縄舞踊の先生からの紹介がきっかけとなり、沖縄音楽を代表する歌手の古謝美佐子さんから高い評価を受け、彼女の全国ツアーへ同行をしたことだった。その後もユネスコ国際音楽会議に日本代表として招待され、ヨーロッパツアー、台湾や韓国公演も果たした。
ほかにも静岡市教育委員会の事業に参加し、10年間で市内の小学校50校ほどを巡業した。
現在は自主公演と学校公演、全国各地でのイベント公演を継続している。それと並行して各地で毎月約2回開催しているエイサー教室では、子どもから大人まで幅広い年齢層が集まり真剣に練習に取り組んでいる。その中から結成された琉神Redsという50人ほどのサテライトチームは、琉神と共演しステージを華やかに盛り上げている。
鈴木さんは、今後もエイサーを日本文化の1つとして世界に発信し、エイサー教室を全国に広げていくことを目標にしている。
1. 活動内容
ステージパフォーマンス重視の自主公演を軸に
学校やイベント公演、教室で地域を盛り上げる
琉神の活動には、ステージパフォーマンスを重視する自主公演と、子どもたちに沖縄の伝統芸能や歴史を伝える学校公演、イベントを盛り上げる出張公演、そしてエイサー教室の4つの要素があります。
自主公演では、エイサーを軸に琉球獅子舞や琉球古武術、島唄、カチャーシー(頭上で左右に手を振る観客参加型の踊り)という演目構成が基本となります。僕たちはこの表現の枠をさらに広げていきたいのです。
学校公演では、ステージに太鼓や指笛、沖縄方言の講座を組み入れています。獅子舞を見た子どもたちの笑顔や、怖くて泣いてしまった顔を見ると、演じる醍醐味がありますよ。そして高校生には沖縄戦のことも話します。
イベント公演の場合は、その内容にあった演目にしています。例えば、お寺のペット供養や施餓鬼法要祭では動物のような獅子舞を演じたり、先祖供養の意味を持つエイサーを演じたりしています。
静岡市と焼津市、福井県敦賀市で開催しているエイサー教室では、初級・中級・上級に分けて教えています。エイサーによって皆が一つになって元気になることが大事なことです。
3. 今後の展開
琉神からRUJINへの展開を目指して活動を継続
静岡から世界に向けて新しい表現の領域へ
沖縄の言葉で、命どぅ宝(ぬちどぅたから)という言葉があります。この意味は、命が助かっただけでもありがたいと思って踏ん張って頑張って生きていこうよ、ということです。そしてもう1つ、行逢りば兄弟(いちゃりばちょーでぇー)といって、出会った人は皆、兄弟のようなものだという言葉があります。沖縄戦という悲劇を乗り越えてきた沖縄のそういった言葉には、非常に重い意味を感じます。沖縄の人たちは、その苦しい時代に歌い踊り未来に向かって生きてきたのです。僕たちは、そういった背景を胸にしまい、身体を限界に達するまで使い、皆様のチカラになっていただけるよう、全力で演じています。琉神と名付けたとおり、古来の琉球の神様にも捧げられるような内容のステージづくりがテーマなのです。
今後は「琉神」からアルファベットの「RYUJIN」として、静岡から世界に向けて広く発信したいと考えています。日本の伝統芸能を研鑽した舞台芸術としてのスタイルを確立していきたいです。